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先生が手作りダンボールギターで弾き語りライブ!?
息子のクラスには明るくて元気のいい先生がいました。求人の保育士は奈良から大和高田で見つけるには先生から「息子くんは、教室にあるダンボールで作ったギターがお気に入りでよく弾くマネをして遊んでいます。」と聞きました。それを聞いた大工の主人がお休みの日に、家でもダンボールで手作りギターを作ってあげました。職人なので、細部までこだわりかなりのクオリティーに仕上がりました。話題では奈良が保育園のことを調べると家でも作ったんだよと息子から聞いた先生がお迎えの際、「見たい!ぜひ園に持ってきて!」とおっしゃったので次の日に持っていくと、「こんなに素敵なギターをお父さんが作ってくれたなんて、エレメンタリースクールなら神戸でもこんなにすごい!感動したぁ!」とそれを持って弾き語りしながら息子を引き連れて各教室を周り、最後には園長室に入っていって、「〇〇くんのお父さんが作ったギターです、素敵でしょー!お父さんは大工さんです」と紹介してくれたのです。先生の勢いに圧倒され、ついて回るので精一杯だった私たち親子。神戸にはインターナショナルスクールなんていつかは恥ずかしがり屋の息子は少し照れ臭そうでしたが、とても嬉しかったと思います。仕事から帰ってきた主人に様子を伝えると、「その先生、サイコーだな!そういう人好きだなー」ととても嬉しそうでした。お父さんの手作りギター、大きくなっても覚えていてくれるかな?先生のおかげで忘れられない思い出になりました。
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子供だけではなく私の心配もしてくれた保育園の園長先生
私が離婚をしていた頃の話です。仕事に忙しく、ストレスも相当溜まっていた頃、娘の迎えの際に園長先生から声をかけてもらい、少しお話する機会がありました。こんなに人気の奈良でも大和高田で保育園がもしかしたら、娘がシングルマザーが影響してお友達にいけないことをしているとか、不安定な様子だとか話をしてくるものかと思ったら、私の心配でした。神戸でもインターナショナルスクールといえば担任の先生に、娘が私がずっと働いているから心配だと言ったらしく、担任の先生は娘のことをしっかり見るので、もし何かあったら園に必ず相談してくださいということでした。それは、口コミすると奈良の保育園でもどこもかしこも社交辞令でもなく、本当に心配してくれるようで、月末など仕事が忙しく、娘を迎えに行くと、10分延長してくれて担任の先生が娘と遊んでいる間に、私は園長室でお茶をいただき、最近の話を聞いてもらう時間が度々ありました。その時間に当時は、何度も救われました。娘が年長さんになった頃、当時付き合っていた男性と再婚することになりました。すぐに園長先生に紹介しました。神戸でもインターナショナルスクールといえるのはとても嬉しいと喜んでくれました。それからは、旦那さんと協力して娘を育てていくことになりましたが、私が迎えに行っても、旦那が迎えに行っても、時には私がシングルマザーとして頑張っていた頃にお茶をいただいてホッとした時間を作ってもらっていたように少し休憩を挟むようです。連れ子再婚だったので、私には相談出来ないこともきっと園長先生には相談出来たのかなと思い、どんな話をしたかは聞くことはありませんでした。卒園式の時は、娘以上に、私と旦那が大号泣だったのは言うまでもなく・・・。子供をあの園のあの先生たちに見守ってもらい、過ごせたことは、私達家族にとっても幸せでした。
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卒園式で見えた先生のさりげない優しさ
今年、子供が保育園を卒園しました。職場に併設の保育園で、人気の奈良でも大和高田で保育園が良いのは在園中に保育園の運営業者が変わるなどの変化があり、それに伴って先生の8割が入れ替えとなることも…。保護者も子供も先生もお互いに慣れるまでに時間がかかり大変な時期もありました。そんな中、ましてコロナということもあり卒園式もどうなるのかわからない…という状況。なんとか開催されることになったものの、出席できるのは母親のみ。子どもたちは卒園式ができることに喜んでいました。一人で奈良で話題の保育園を大切にしたいと本来なら両親へのお礼、子どもたちから在園児へのプレゼントなどもあるのですが、今回はすべて中止。挨拶もすべてカット。できるだけでありがたいという気持ちと少し残念という気持ちが入り乱れていました。先生たちにせめて何かできないかと思い、子供たち一人一人のアルバムを先生とのエピソードを交えてアルバムにして渡しました。いつも大きな声で笑ったり、時にはちょっときつく怒鳴ったりしていた先生もそれには涙。皆で写真をとって帰りました。帰宅してみると誰からかわからないプレゼントが。子供のすきなリラックマのクリスタルコップ。子供に聞いても誰からなのかわからない…なんだろう?園からのプレゼントなのだろうか?と思っていましたが、保育園に行く用ができたので確認してみました。するとそのアルバムを渡した先生が、卒園式の前に一人一人に好きなキャラクターを聞いてそれに合わせてわざわざ用意してくれたということが判明。さりげなく、目立たないようにしながらも子供たちのことを想ってくれている想いが伝わりとても温かい気持ちになりました。良い保育園の先生にめぐり会えたことに改めて感謝しました。
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私の記憶に一生残る保育園の先生
保育園に通っていたあの頃。もうそれは20年以上前のことですが、今でも忘れることはないほどわたしの記憶に強く残る先生がいます。厳密にいえばその方は先生ではなく、保育園バスの運転手です。奈良で大和高田で保育士を採用しようと棚瀬さんという保育園のバス運転手をしていた当時60歳くらいの男性の方です。私は当時その棚瀬さんという方にとてもかわいがっていただいておりました。毎朝、自宅に保育園バスが到着すると「ゆうきくんおはよう!!今日も保育園がんばろうね!」と大きな声とともにいつもハイタッチをしてからバスに乗って保育園に行くのが日課でした。評判では奈良が良いと保育園を見つけるにはもちろん、ほかの園児たちにも大人気だったので、園児全員に優しい方だったのですが、私に対しては特にかわいがってくれました。当時私は昆虫図鑑を常に首にかけていた虫大好き少年だったので、いつも保育園に着いてはすぐに虫を探していたのですが、棚瀬さんはいつもバス業務が終わると私とつきっきりで先生でもないのに一緒に虫を探したり遊んだりしてくれました。年長さんの時に山に行って山小屋に1日泊まる自然学習というイベントがあったのですが、その時も棚瀬さんはわざわざ私のために山奥までカブトムシを捕りに行って虫かご一杯に持ってきて当時の私を喜ばせてくれました。卒園のときも涙を流して「卒園してもおじちゃんはゆうきくんのこと忘れないからね」と強く手を握り締めてくれました。今思い返しても本当にいい人だったなて思います。思い出して会いたくなってきてしまいました。今でも元気に生きてくれていることを願っています。そんな私の記憶に残る保育園のお話しでした。
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卒園後も交流がある先生
我が家は2人とも娘たちが、同じ幼稚園に通っていました。幼い頃からクラシックバレエを本格的に習っており、幼稚園も時折休みながらでも音楽的に習わせていました。園長先生も非常に理解があり、応援をしてくれていたのが実態です。奈良の大和高田で保育士の求人を幼稚園児在園中から舞台があればすべて応援に来てくれていました。そしてそれからもう10年以上経ちますが、今でも年賀状のやり取りだけではなく子供たちの舞台があるときには連絡すれば必ず見に来てくれます。園長先生はクラシックバレエが好きなこともあるようですが、自分自身が関わった子供たちが成長していく姿を常に見たいと、他の子供たちの卒園の姿も眺めることが大好きなようです。奈良で評判の保育園を口コミするなら我が家の場合はさらに個人的なお付き合いとして食事まで一緒に行くようなほど仲良くなっています。ドライなお付き合いではなく、このように昔ながらの深い付き合いをしてくれる先生が少なくなっている中、園長先生との交流をこれからも続けていきたいと思いますし、子供たちにとっても大きな財産だと思います。成人した後も先生が元気でいればずっと舞台を誘ってねと言われていますのでプロバレリーナとして一人前になった時にも先生にぜひとも見てもらいたいと言うのが子供たちの願いです。
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最初は不安だった幼稚園のお餅つき大会で先生にほめられた思い出
幼稚園のころの先生との嬉しい経験の一つがお餅つき大会でした。私はまだ餅つきをしたことがなかったので楽しみでしたが、その反面、コント番組でみた餅つきで手を杵でつかれて大きく真っ赤になるシーンが何度も思い出されて、失敗したら手が大変なことになるかもしれないと恐れもありました。そして、1月の寒い日に、大和高田で保育士の求人を求めてこの体育館でお餅つき大会が開かれました。園長先生がお餅を杵でついて、先生たちがそれを小さくとりわけて、私たちにくばってくれました。安全のためというか、まだ幼稚園児で杵を振るのは難しいからか、餅つき自体は先生たちだけでやっていたので、私が心配していたことはなくなりほっとしながら、もらった餅を丸めていました。その後、納豆やきな粉を餅をのせたお皿に持ってもらって、口コミから奈良で保育園がここなら良いとみんなで一緒に食べました。先生は私の丸めたお餅をみて「〇〇君のお餅とてもきれいでお月様みたい」といってくれました。今思うと餅の形がボールのようだったことをフォローしてくれたのかもしれないのですが、先生にほめられて私はすごくうれしくなり誇らしい気持ちで自分で丸めたお餅を食べました。最初は不安が一杯なお餅つき大会でしたが、先生にもほめられて、とても楽しい思い出になりました。
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幼稚園の先生達は明るくて楽しいひとばかり。
英会話スクール勤務の時に、外国人講師と週1でレッスンに行っていたときのお話です。レッスンと行っても、口コミで大和高田で保育士を採用するとまだまだ小さいお子さんばかりだったので、主に楽しい英語の歌を聴きながらお遊戯をしている感じと思ってください。月初めは、新しい曲や振り付けにとまどう子供達30人近くを、2,3人の幼稚園の先生が付き添って、一緒にレッスンに参加。やんちゃな男の子がいると、保育園が評判の奈良でもなかなかにはものすごく怖い顔で怒る先生がいて、それでも愛情たっぷりなのがわかるので、その後の男の子の甘え方といったら、甘えん坊さんねっとつい言ってしまいたいくらいのほのぼのさ。先生が万遍の笑顔で子供達に接するときの顔は、大人の私が見ていても、ついとろけてしまうくらい、心が温かくなるほどでした。また、少し大きくなった年長さんクラスになると、付き添いの先生は、一人になり、またまたおどけた男の子が先生にちょっかいを出したりしていました。先生も一人なので、強めに叱り、怖い顔をしますが、ジョークを言い合う時には、仲良しの兄弟のようにはしゃく先生と子供達。毎回、こちらの幼稚園に行くたびに、笑顔になって、先生達の明るい性格は、子供達だけでなく、大人も元気に明るくしてくれる存在でした。子供の時に最初にお世話になる先生が幼稚園の先生になるので、性格が明るくて人を楽しませる先生は、本当魅力的ですね。
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幼稚園の先生は、子供も親も育ててくれる
幼児期、初めて親と離れて長時間過ごす事になる幼稚園。私の子供時代は二年保育が主流で、求人の保育士を奈良の大和高田では年少から幼稚園に入る子は珍しい方でした。じゃあ年中からならお友達も沢山いるし、幼稚園なんて余裕なのかと言えば全くそんな事は無く、仲の良い幼馴染とはクラスが違うし、周りは知らない子達ばかりでよく泣いていたのを覚えています。けれど、そんな私の様子を見て、とても忙しいはずの担任の先生は、よく声掛けをしてくれたり、私を膝の上に乗せてたくさんお話をしてくれて、徐々に安心して幼稚園に馴染む事が出来ました。不安がある時、先生という安全地帯を作ってくれたから出来た事だろうなとすごく感謝しています。話題の奈良から保育園を探すとなると今は親の送迎か園バスが当たり前ですが、当時は先生が園児を集団で歩かせて自宅近くまで送ってくれていました。田舎だったので、たまに道の途中でたぬきが出て来たり蛇が出て来たりするのですが、そういう時はパニックになる私達を優しくなだめてくれたり、私達の前に腕を上げてかばうようにして歩いてくれたり、すごく守られている安心感がありました。もう一人のお母さんといった感じで、卒園してからもつい何度か幼稚園に遊びに行ってました。親になって地元で子育てしている為、自分が通っていた園に子供を通わせる事になったのですが、その先生はもう退職されていました。それは残念でしたが、自分の子を担任してくれる事になった先生が、私の先生についてずっと働いてこられた先生で、どことなく教育方針が私の先生と同じ様に感じました。育児に関する不安に対しアドバイス頂いたり励まして下さったり、時にはお叱りをうけることもありましたが、それは子供と私の事を考えてくれているのがよく分かって、嬉しかったです。先生のお陰で、味方がいるんだと安心して育児出来ました。子供の頃から何かと不安を抱えやすいのですが、幼稚園の先生のお陰で、どちらも乗り切る事が出来、とても感謝しています。
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バレンタインデー
幼稚園の年長さんの時のことです。年長さんともなると、女の子も男の子もちょっとマセてきてバレンタインデーがとっても気になるお年頃のようでした。評判になっている大和高田の保育園は通っていた幼稚園は、そんなにうるさくなかったのでチョコについての注意も無く、バレンタインデーが近づくにつれて女の子たちは「誰にあげる?」なんて盛り上がり、男の子たちはソワソワドキドキという感じでした。うちの息子はどちらかというと大人しい方でしたが、私も特にチョコについて気にもせず・・・いよいよバレンタイン当日。朝、幼稚園へ行くと、口コミから奈良で保育園が良いと何やら下駄箱がいつもより騒がしくなっていました。見ると、数人の男の子の下駄箱にチョコが入っていたとか。「誰からだよ~!」なんて男の同士がワイワイ盛り上がっています。息子の下駄箱には、もちろん何も無し。その時初めて、私は「みんながもらえて、うちの子だけもらえなかったらどうしよう」と心配になってきました。息子は何か感じていることがあるのか、無言で上履きに履き替えてお教室へ。私も普段通りの振る舞いで息子と一緒にお教室へ。先生に相談しようか、とも思いましたが、過保護かもしれないと迷い、結局そのまま普段通り、息子をお教室へ置いて帰宅しました。その日は一日気が気ではなく・・・息子がキズついているのではないか、心配で仕方ありませんでした。お迎えの時間になり、すぐに幼稚園へ。お教室へ行くと、息子がニコニコして出てきました。いつも通りのニコニコを見て安心半分、話を聞きたい半分。帰り道、息子が言うには「バレンタイン、もらった!」と。小さな袋に入ったチョコを大事そうにカバンに入れて持って帰ってきました。後から聞いた話で、下駄箱にチョコが入っていたのはクラスの半分の男の子たち。残りの男の子たちには、先生たちがそっとかばん置きのロッカーにチョコを入れてあげたそうです。そんなわけで、クラスの男の子全員が無事にチョコをもらえ、息子にとってもバレンタインは嬉しい思い出になりました。先生たちの気遣いに感謝です! -
自分の体験を語ってくれる幼稚園の先生
年少の娘がいます。4月に近所の幼稚園に入園以来、娘は毎日幼稚園で習う歌を歌い、どんな工作をしたのか、誰がどんなことを言ったのか、評判の奈良でも保育園はどこにもひたすら詳細を話してくれ、毎日が楽しそうです。そんな娘をある日、サプライズのつもりで覗きに行ってみました。運よく、園庭でクラスの子ども達と遊んでいるところでしたので、物陰から様子を見守っていました。自分の娘は積極的で少し行動的すぎる面があると感じていましたが、その日は一人で隅っこでしょんぼりしていました。家で話している楽しい雰囲気とは違うため驚きました。求人の保育士は奈良から大和高田で家に戻って話を聞いてみると、「あそぼ」と言ってみたけど「ダメよ」とお友達に言われたため、悲しくなってしまったそうです。4才と言えどもしっかりとグループを作りがちな女子の世界が存在していました。同時に、家で楽しそうに話している姿としょんぼりしている姿にギャップを覚え、幼稚園の先生に夫婦で日頃の話を聞いてみたところ、幼稚園の先生は自分の体験を踏まえて詳しくお話をしてくださいました。先生は、幼稚園の頃はお友達に意地悪されても叩かれても、何も言えず、黙っているタイプの子で、お家の方にも素直にお話できなかった。あるときお母様にバレて、強くなるよう毎日毎日諭されたそうです。そんな自分の体験から、意地悪されて落ち込んでいる子を励ましたり、言い訳する意地悪な子が甘えてくるときにも可愛さに騙されないように自分を奮い立たせているとのことでした。意地悪して怒られる子が先生に甘えてくる、ということをしっかりと見極めてらして安心できるなと、少し嬉しくなリました。