「幼稚園の先生に「絵の才能があるんじゃないかしら」と言われて嬉しかったです」

おはようございます。僕は30歳の男性です。職業としてはフリーランスとして活動しております。もう25年くらい前のお話になりますが、幼稚園の先生に言ってもらった言葉一番嬉しかった言葉とそのエピソードを書いていきたいと思います。それは幼稚園のお絵かきの時間の事でした。僕は自分の思うがままに絵を描く子供でした。こんなバイリンガルスクールが神戸の中にその絵が先生の目に入り、「●君。とても素敵。●君は絵の才能があるんじゃないかしら」と言ってもらいました。僕は嬉しかったのですが照れてしまい下を向いてしまいました。(笑)そして、その言葉が先生の本心だったのがわかりました。先生は僕の親に許可を取り地域の絵のコンテストに僕の絵をエントリーさせたのです。すると見事に入賞し、僕は賞状と金一封をいただいたことがあります。その後は、絵を描くことは辞めてしまったのですが、この時の言葉とエピソードは昨日のように覚えております。しかもこの間近所のスーパーで偶然にこの時の担任の先生に遭遇しました。あちらも覚えていてくれたようで30分ほど立ち話をしました。この時のエピソードを先生に言うと「そうね!懐かしい!そんなことあったわねぇ」なんてとても嬉しそうでした。今では幼稚園の先生を引退されたそうですが、NPO法人で子供たちの支援をしているとのことでした。これからも活躍して欲しいと思いました。

苦手だった犬と仲良くなれるように練習してくれた幼稚園の先生

幼稚園の先生というものは本当に良い人だったこともあり、ここでエレメンタリースクールなら神戸でも今でも印象深く思い出すエピソードが沢山あります。その中でも自分が感謝していることには、苦手だった犬と遊べるように練習をしてくれたことであり、やはり先生というものは凄いなと今でも思っています。当時の自分は幼いころに犬と遊ぼうとしたところ手を嚙まれた経験があり、犬が怖くなってしまいました。自分が通っていた幼稚園ではたまに犬が紛れ込んでくることもあり、自分はその度に大声をあげてしまいました。先生にも迷惑を掛けたと今では思っているのですが、そこで先生は犬と仲良くなれる練習をしてみようと提案してくれました。最初は絵本などで犬がどういう性格をしているかという話や、色々な犬のお話しをしてくれたのでそれは楽しかったです。犬が嫌いになってからは犬の絵本や話を全く読まなくなったのですが、段々と物語が楽しくなってくると犬に触ってみたいと思うようになりました。迷い犬は毎日やってくるわけではないのですが、他の園児の母親がたまに連れてくる犬にも協力してもらいやっとのことで触れるようになりました。犬は怖くないということを真剣に楽しく教えてくれた幼稚園の先生には今でも感謝しています。

豪放で優しかった幼稚園の先生の思い出

自分の幼稚園の先生の思い出は、随分と昔のものになってしまうのですが、保育園を奈良で見つけるのは大和高田でもどこでも未だにはっきりと覚えている思い出なので、よほど印象深いものなのだろうと実感しています。時代は昭和になるのですが、ある日自分は、自由時間にブランコで遊んでいて、何を間違ったのか落っこちて怪我をしてしまいました。そのときに、座り台に足をこすったようで、擦り傷から結構な出血がありました。神戸もインターナショナルスクールと呼べるには小さい子どもでしたから、怪我の痛さよりも、血がたくさん出たことに驚いて、大泣きしてしまった記憶があります。すぐに先生が気が付き、抱き上げて事務室に連れて行ってくれました。今の時代なら、すぐに病院とか大げさな話にでもなるかもしれませんが、当時は骨折でもしない限り、幼稚園の先生がなんとかして、間に合わなければ親が引き継いで自分たちでなんとかしたものです。自分の怪我も、出血ほどは程度は深くなかったようで、洗って消毒してもらったら、あとは大きめの絆創膏を貼っておしまいといった感じでした。それでも、泣いてしまったからでしょうか。どこの神戸でもインターナショナルスクールはとその後もずっと先生は自分の隣から離れずに、他の園児たちの様子を見ながら、自由時間を過ごしていました。記憶に違いがなければ、預かり時間を過ぎて、母親が迎えに来るまで、ずっとそばにいてくれました。泣き虫だった自分は、ちょっと恥ずかしさを感じながらも、安心感を覚えていたことを、今でも思い出せます。奈良では保育園の話題を聞くとなるとここがもう名前も忘れてしまった幼稚園の先生の思い出ですが、時々思い出す、恥ずかしいながらも暖かかった、幼いころの体験です。

幼稚園の先生の赤ちゃん

この4月から入園して幼稚園よ年少組の息子がいます。どんなにバイリンガルスクールが神戸の中にも活発でサハサバとした先生で、子供たちはすぐに大好きになりました。初めての幼稚園生活も、沢山サポートして頂き親子揃って新生活に慣れてきたとき、先生の妊娠を知りました。こんなに奈良で大和高田の保育士を求人でも先生からの報告は子供たちに先にあったようで、帰宅してから何となくお腹に赤ちゃんがいる、ということを教えてくれました。先生のお腹が段々と大きくなっていくことに子供たちも気付き、皆で名前はどうするの?とか男の子と女の子どっちかな?などと話をしているのが聞こえてきました。そして、神戸ではインターナショナルスクールの学校は先生のお腹には赤ちゃんがいるから重いものは持てないね、などとどこから聞いたのか年少さんにも関わらず気遣う様子まで見られるようになりました。大好きな先生と離れてしまうことはあまり理解しきれていないですが、赤ちゃんが産まれてくる嬉しい気持ちはちゃんと持っていて微笑ましい気持ちになりました。これからは奈良から話題の保育園を探すには先生が産休の間に来てくれる新しい先生も早めに来てくれ、気持ち的にも安心感がうまれたようで落ち着いて通うことができています。皆で大きくなっていくお腹をなでたり話をしたり、同じ気持ちになってドキドキできるとこは素敵なことだと思いました。

先生が手作りダンボールギターで弾き語りライブ!?

息子のクラスには明るくて元気のいい先生がいました。求人の保育士は奈良から大和高田で見つけるには先生から「息子くんは、教室にあるダンボールで作ったギターがお気に入りでよく弾くマネをして遊んでいます。」と聞きました。それを聞いた大工の主人がお休みの日に、家でもダンボールで手作りギターを作ってあげました。職人なので、細部までこだわりかなりのクオリティーに仕上がりました。話題では奈良が保育園のことを調べると家でも作ったんだよと息子から聞いた先生がお迎えの際、「見たい!ぜひ園に持ってきて!」とおっしゃったので次の日に持っていくと、「こんなに素敵なギターをお父さんが作ってくれたなんて、エレメンタリースクールなら神戸でもこんなにすごい!感動したぁ!」とそれを持って弾き語りしながら息子を引き連れて各教室を周り、最後には園長室に入っていって、「〇〇くんのお父さんが作ったギターです、素敵でしょー!お父さんは大工さんです」と紹介してくれたのです。先生の勢いに圧倒され、ついて回るので精一杯だった私たち親子。神戸にはインターナショナルスクールなんていつかは恥ずかしがり屋の息子は少し照れ臭そうでしたが、とても嬉しかったと思います。仕事から帰ってきた主人に様子を伝えると、「その先生、サイコーだな!そういう人好きだなー」ととても嬉しそうでした。お父さんの手作りギター、大きくなっても覚えていてくれるかな?先生のおかげで忘れられない思い出になりました。

子供だけではなく私の心配もしてくれた保育園の園長先生

私が離婚をしていた頃の話です。仕事に忙しく、ストレスも相当溜まっていた頃、娘の迎えの際に園長先生から声をかけてもらい、少しお話する機会がありました。こんなに人気の奈良でも大和高田で保育園がもしかしたら、娘がシングルマザーが影響してお友達にいけないことをしているとか、不安定な様子だとか話をしてくるものかと思ったら、私の心配でした。神戸でもインターナショナルスクールといえば担任の先生に、娘が私がずっと働いているから心配だと言ったらしく、担任の先生は娘のことをしっかり見るので、もし何かあったら園に必ず相談してくださいということでした。それは、口コミすると奈良の保育園でもどこもかしこも社交辞令でもなく、本当に心配してくれるようで、月末など仕事が忙しく、娘を迎えに行くと、10分延長してくれて担任の先生が娘と遊んでいる間に、私は園長室でお茶をいただき、最近の話を聞いてもらう時間が度々ありました。その時間に当時は、何度も救われました。娘が年長さんになった頃、当時付き合っていた男性と再婚することになりました。すぐに園長先生に紹介しました。神戸でもインターナショナルスクールといえるのはとても嬉しいと喜んでくれました。それからは、旦那さんと協力して娘を育てていくことになりましたが、私が迎えに行っても、旦那が迎えに行っても、時には私がシングルマザーとして頑張っていた頃にお茶をいただいてホッとした時間を作ってもらっていたように少し休憩を挟むようです。連れ子再婚だったので、私には相談出来ないこともきっと園長先生には相談出来たのかなと思い、どんな話をしたかは聞くことはありませんでした。卒園式の時は、娘以上に、私と旦那が大号泣だったのは言うまでもなく・・・。子供をあの園のあの先生たちに見守ってもらい、過ごせたことは、私達家族にとっても幸せでした。

卒園式で見えた先生のさりげない優しさ

今年、子供が保育園を卒園しました。職場に併設の保育園で、人気の奈良でも大和高田で保育園が良いのは在園中に保育園の運営業者が変わるなどの変化があり、それに伴って先生の8割が入れ替えとなることも…。保護者も子供も先生もお互いに慣れるまでに時間がかかり大変な時期もありました。そんな中、ましてコロナということもあり卒園式もどうなるのかわからない…という状況。なんとか開催されることになったものの、出席できるのは母親のみ。子どもたちは卒園式ができることに喜んでいました。一人で奈良で話題の保育園を大切にしたいと本来なら両親へのお礼、子どもたちから在園児へのプレゼントなどもあるのですが、今回はすべて中止。挨拶もすべてカット。できるだけでありがたいという気持ちと少し残念という気持ちが入り乱れていました。先生たちにせめて何かできないかと思い、子供たち一人一人のアルバムを先生とのエピソードを交えてアルバムにして渡しました。いつも大きな声で笑ったり、時にはちょっときつく怒鳴ったりしていた先生もそれには涙。皆で写真をとって帰りました。帰宅してみると誰からかわからないプレゼントが。子供のすきなリラックマのクリスタルコップ。子供に聞いても誰からなのかわからない…なんだろう?園からのプレゼントなのだろうか?と思っていましたが、保育園に行く用ができたので確認してみました。するとそのアルバムを渡した先生が、卒園式の前に一人一人に好きなキャラクターを聞いてそれに合わせてわざわざ用意してくれたということが判明。さりげなく、目立たないようにしながらも子供たちのことを想ってくれている想いが伝わりとても温かい気持ちになりました。良い保育園の先生にめぐり会えたことに改めて感謝しました。

私の記憶に一生残る保育園の先生

保育園に通っていたあの頃。もうそれは20年以上前のことですが、今でも忘れることはないほどわたしの記憶に強く残る先生がいます。厳密にいえばその方は先生ではなく、保育園バスの運転手です。奈良で大和高田で保育士を採用しようと棚瀬さんという保育園のバス運転手をしていた当時60歳くらいの男性の方です。私は当時その棚瀬さんという方にとてもかわいがっていただいておりました。毎朝、自宅に保育園バスが到着すると「ゆうきくんおはよう!!今日も保育園がんばろうね!」と大きな声とともにいつもハイタッチをしてからバスに乗って保育園に行くのが日課でした。評判では奈良が良いと保育園を見つけるにはもちろん、ほかの園児たちにも大人気だったので、園児全員に優しい方だったのですが、私に対しては特にかわいがってくれました。当時私は昆虫図鑑を常に首にかけていた虫大好き少年だったので、いつも保育園に着いてはすぐに虫を探していたのですが、棚瀬さんはいつもバス業務が終わると私とつきっきりで先生でもないのに一緒に虫を探したり遊んだりしてくれました。年長さんの時に山に行って山小屋に1日泊まる自然学習というイベントがあったのですが、その時も棚瀬さんはわざわざ私のために山奥までカブトムシを捕りに行って虫かご一杯に持ってきて当時の私を喜ばせてくれました。卒園のときも涙を流して「卒園してもおじちゃんはゆうきくんのこと忘れないからね」と強く手を握り締めてくれました。今思い返しても本当にいい人だったなて思います。思い出して会いたくなってきてしまいました。今でも元気に生きてくれていることを願っています。そんな私の記憶に残る保育園のお話しでした。

卒園後も交流がある先生

我が家は2人とも娘たちが、同じ幼稚園に通っていました。幼い頃からクラシックバレエを本格的に習っており、幼稚園も時折休みながらでも音楽的に習わせていました。園長先生も非常に理解があり、応援をしてくれていたのが実態です。奈良の大和高田で保育士の求人を幼稚園児在園中から舞台があればすべて応援に来てくれていました。そしてそれからもう10年以上経ちますが、今でも年賀状のやり取りだけではなく子供たちの舞台があるときには連絡すれば必ず見に来てくれます。園長先生はクラシックバレエが好きなこともあるようですが、自分自身が関わった子供たちが成長していく姿を常に見たいと、他の子供たちの卒園の姿も眺めることが大好きなようです。奈良で評判の保育園を口コミするなら我が家の場合はさらに個人的なお付き合いとして食事まで一緒に行くようなほど仲良くなっています。ドライなお付き合いではなく、このように昔ながらの深い付き合いをしてくれる先生が少なくなっている中、園長先生との交流をこれからも続けていきたいと思いますし、子供たちにとっても大きな財産だと思います。成人した後も先生が元気でいればずっと舞台を誘ってねと言われていますのでプロバレリーナとして一人前になった時にも先生にぜひとも見てもらいたいと言うのが子供たちの願いです。

最初は不安だった幼稚園のお餅つき大会で先生にほめられた思い出

幼稚園のころの先生との嬉しい経験の一つがお餅つき大会でした。私はまだ餅つきをしたことがなかったので楽しみでしたが、その反面、コント番組でみた餅つきで手を杵でつかれて大きく真っ赤になるシーンが何度も思い出されて、失敗したら手が大変なことになるかもしれないと恐れもありました。そして、1月の寒い日に、大和高田で保育士の求人を求めてこの体育館でお餅つき大会が開かれました。園長先生がお餅を杵でついて、先生たちがそれを小さくとりわけて、私たちにくばってくれました。安全のためというか、まだ幼稚園児で杵を振るのは難しいからか、餅つき自体は先生たちだけでやっていたので、私が心配していたことはなくなりほっとしながら、もらった餅を丸めていました。その後、納豆やきな粉を餅をのせたお皿に持ってもらって、口コミから奈良で保育園がここなら良いとみんなで一緒に食べました。先生は私の丸めたお餅をみて「〇〇君のお餅とてもきれいでお月様みたい」といってくれました。今思うと餅の形がボールのようだったことをフォローしてくれたのかもしれないのですが、先生にほめられて私はすごくうれしくなり誇らしい気持ちで自分で丸めたお餅を食べました。最初は不安が一杯なお餅つき大会でしたが、先生にもほめられて、とても楽しい思い出になりました。