幼稚園の先生からのお土産

幼稚園の先生がよくお土産をもってきてくれる人でした。色々なところにいくことが多い人だったらしく、そのときにその土地の色々な文芸品とか工芸品をもってきてくれるということがあったわけです。評判の奈良でもここの保育園は特殊な石とかもありました。しかし、思い出に残っているのは貝です。いわゆる耳に当てると海の音がするというような感じの貝です。実際に海の音がしているわけではなく中の空気が云々というようなことがあるのですがそういう貝をもらえた時のことをよく覚えています。一人一人に配ったというのではなく数にもそれなりに限度がありますから、人気の奈良でも大和高田で保育園が欲しい人だけ前に来てとっていくようにと言われてみんなためらっているところを私がズカズカと取りに行ったところ、欲しい人がその後続々と出てきたというようなことを覚えています。意外と子供のときというのは好きにすればよいといわれるとなかなか行動に移せないものなのだなぁと今、思い返してみると感じることでした。その貝なのですが今でももっています。白っぽいやつでそこそこ大きいのをもらいましたので今でも飾っています。なかなかよいインテリアとなっています。こうしたお土産を割りとくれる先生でしたから、いい先生だと思ってました。

私を認めてくれた幼稚園の先生の話

幼稚園児の私は、在籍している幼稚園の先生方から「人と同じ行動のできない子ども」として目をつけられていました。人気の奈良でも大和高田で保育園がきっかけは家族の絵の描き方でした。私が在籍していた幼稚園では、人の絵を描くときは黒のクレヨンで顔や体のパーツの輪郭を描いてから、肌色のクレヨンで色づけするように教えられていました。クラスの子ども達は私を除き、この教えに従って絵を描きました。しかし私は先生の教えに従わず、話題の保育園が奈良ではとても輪郭を描かずに肌色のクレヨンだけで人の体を描きました。実際の人の体には黒の輪郭はないと考えたからです。しかし当時の担当教諭にはこの行動を反抗と受け取られてしまい、とても(声をあげて泣いてしまう程)怒られました。その日から、その先生はことあるごとに私を叱るようになりました。お弁当の食べ方、クラスメイトと並んで行動するときの小さな振る舞い等々、クラスメイトと少しでも違う行動を取れば叱られました。そういうわけで、私は幼稚園の先生達から「人と同じことができない子ども」として幼稚園の先生方に目をつけられることになりました。一方で私も、先生に怒られることが嫌になり、教室からの脱走するようになりました。幼稚園の先生方に見つからないように隠れる生活。それは衝動的な行動でしばらくなると、独りぼっちが寂しくなります。だけど、そういうときに必ず一人の女性の先生が私を見つけてくれました。フワフワした髪が印象的で、私を見つけると「見つけた!」と笑顔で私を抱きしめてくれました。すると寂しさで冷たくなった心がフワフワした綿に包まれたように暖かくなり、私を笑顔にさせてくれるのです。そしてこのフワフワ先生は私を抱きしめた後は、私の話を聞いてくれるのでした。私が黒のクレヨンを使わない話をしたときも、先生は怒らず笑顔で話を聞いてくれました。そして先生は「よく考えたね・がんばったね」と私が人と違うことをしても、いつも笑顔で認めてくれました。その上で、「こういうやり方があるの、それを一緒にやってみよ」と教えてくれるので、私は先生の教えてくれたことはすんなりと受け入れることができました。そして気がつくと私は皆と違う考え方を持ちながらも、皆と同じ行動ができるようになりました。そして幼稚園から卒業し、小学校に入学してからは、友達ができ、一緒に遊んだり、習い事をしたり、勉強したりするようになりました。そしてその友達とは現在も幼なじみとして、親友して関係が続いています。フワフワ先生のことは今でも感謝しています。